加瀬英明氏の新書「大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか」 要点まとめ

2018年11月27日アジア,国内

 2015年に出版された加瀬英明氏の新書「大東亜戦争で日本はいかに世界を変えたか」を読んで、要点と思われる箇所を項目別に箇条書きにして起こした。
 保守派ならば既知の事実が大半だと思われるが日本人全体に浸透しているとは言い難い内容である。当時から現在までのアジア諸国の状況や日本に対する評価なども簡素に書かれているため、面白く読み易い。正しい歴史認識への入門書の一つとして挙げたい作品である。

ルーズベルト大統領の中国贔屓

  • 第一次世界大戦以後(1918年)のアメリカは、二度とヨーロッパの戦争に巻き込まれたくない世論が多数で、今の日本の平和主義の状態に似ていた。
  • 日米戦争の大きな原因はルーズベルト大統領が中国を愛して日本を疎んでいたことにある。
  • ルーズベルトの母親の(サラの)父親(=ルーズベルトの祖父)は中国の清の時代の末期に、アヘン貿易で相当稼いでいて、香港にも豪邸を持っていた。ルーズベルトの母親もそのとき香港に滞在して、中国を深く愛するように。
  • その母親に育てられたルーズベルトは、中国から略奪してきた象牙とか陶器などの美術品に囲まれて育ったので、中国には幼いころから愛着を持っていた。大統領になってからも祖父から聞いた中国旅行の話をしていた。
  • 中国は多くのキリスト教宣教師をアメリカから受け入れていたし、中国の経済市場は大きかったので、アメリカ国民は「巨大な中国市場」を夢見て中国に好意を寄せていたそう。

自国民まで欺いたアメリカの騙し討ち

  • 今の日本の憲法は到底憲法とは呼べない「不平等条約」。
  • 多くの専門家は、日本が1941年7月28日に当時フランス領だったベトナム、ラオス、カンボジアに進駐したことが日米戦争の引き金を引いたと考えている。
  • ところが10日前の7月18日に、アメリカの陸軍、海軍の長官が日本の本土爆撃計画をルーズベルトに提出していた。
  • それは蒋介石に500機の爆撃機と戦闘機を与えて、東京や横浜などに奇襲爆撃を行うという内容だったが、作戦自体は爆撃機をイギリスに回さなければならなくなり中止となった。
  • つまり、日本が真珠湾攻撃(12月8日)を行う5か月前には、アメリカ国民にも知らせずに騙し討ちで日本を攻撃すること予定だった。

日本を追い詰めた経済封鎖

  • アメリカは1941年8月に石油などの物資の日本への禁輸とアメリカ国内の資産凍結を行った。当時日本は石油の輸入をアメリカに頼っており、日本経済全体が立ち行かなくなっていた。やはり日本に自ら戦争をしかけさせるための誘導。
  • 戦後になってマッカーサーがアメリカの議会で「日本は経済封鎖によって自衛のためにやむを得ず戦った」「日本は石油などの輸入がストップすれば数千万の失業者が出るため、それを恐れ安全保障の必要に迫られて戦争に飛び込んだ」などと証言していたが、日本では報じられなかった。

ルーズベルト政権の陰謀

  • ルーズベルトは日本と戦うことを決めていたので日米の交渉がまとまることを望んでいなかった。一方日本政府は、アメリカも日本と同じように誠意がある国で平和を望んでいると思い込んでいた。
  • 日本はルーズベルト政権による罠にかけられ、やむを得ず開戦した。ハル・ノートも日本の生存を脅かすもので、同じ内容を受け取れば小国でも戦争に踏み切る内容だった。

有色人種の光だった日本軍の侵攻

  • 第二次世界大戦の開戦と同時にイギリスやオランダの植民地だったアジア諸国を攻略した。アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの警察は、活発化した有色人種の活動家の取り締まりに翻弄し、また彼らを懐柔するために人種差別政策を緩和したりした。
  • 日本国民はアジア人を「兄弟」と考え、思いやりをもって対等に接した。白人の態度とは正反対だった。
  • 当時の中国人は打算的で白人に媚びていたが、日本人は決然として白人と対峙していた。

有色人種のリーダーが集った大東亜会議

  • 大東亜会議は日本の戦争目的を世界と後世へ向けて宣明するために、七か国が参加して昭和18(1943)年11月に東京で開催された。
  • 中華民国の汪兆銘(おうちょうめい)は会議の演説で、「日本が明治維新によって先進国となり、それがアジア復興の出発点になった。アジア各国は先進国となった日本と一心同体となって協力し、西洋覇権文明を打ち破り、独立自主を完成すべき」と発言した。
  • ビルマは1886年から全国がイギリス領となっていた。バー・モウ首相は「一千六百万人のビルマ人が独立を求めて戦ったがかなわなかった。大東亜戦争前にはアジア人が一堂に集まる考えることができなかったが、この会議によって不可能な夢が実現した」と発言した。

インド人から感謝される日本

  • インドのチャンドラ・ボースは「大東亜会議とかつて世界史上で行われた会議は大きく違い、戦勝国間による戦利品を分配するための会議ではない。解放された諸国民の会議であり、正義、主権、国際関係における互恵主義、および相互援助の法則に基づいて世界の新しい秩序を建設するものである」と発言した。
  • 日露戦争で日本が勝つと、インドは旅順攻撃や奉天大会戦、日本海海戦の話で湧き立った。インドの子供たちは東郷元帥や乃木大将を慕った。親たちは競って元帥や大将の写真を手に入れようとしたができず、代わりに日本製の品物を買ってきて家に飾った。
  • 会議では「大東亜共同宣言」が全会一致で採択された。アジア各国が協同互恵の原則のもとに伝統を重んじ、創造性を伸長して、文化を高揚し、経済を発展させ、道義に基づく共存共栄の秩序を建設すると述べ、「萬邦ト交誼ヲ篤ウシ、人種的差別ヲ撤廢シ、普ク文化ヲ交流シ、進ンデ資源ヲ開放シ、以テ世界ノ進運ニ貢獻ス」と締めくくられている。

自存自衛の精神を復元する

  • インドネシアは350年間、オランダの植民地だった。1942年に日本軍はインドネシアを解放し、統一インドネシア語を制定、学校教育を充実するなど独立に向けて準備した。
  • 日本が戦争に負けると、オランダは再びインドネシアを植民地化しようと、イギリス軍と共に戻ってきた。インドネシア人は、日本がつくった「ペタ(郷土防衛義勇軍)」が中心となって独立軍を組織し対抗し、独立戦争に勝利した。日本なしではインドネシアの独立はあり得なかった。
  • しかも、二千人近い日本兵がインドネシアに残って、独立戦争に加わった。そのうち半数が戦死した。彼らはインドネシアの「英雄墓地」に葬られている。

対日協力者は民族の功労者

  • 日本がアジアを侵略したために「アジア諸国」から嫌われているというが、事実は正反対。
  • 東南アジアからインドに至るまで、大戦中に国内で日本に協力した人々が裁判にかけられたことはない。もし日本が侵略し、恨んでいたとすればありえないこと。
  • むしろ、インドネシアでもインドでもミャンマーでも、対日協力者は民族の功労者となっている。フィリピンの初代ラウレル大統領の長男は戦時中に日本の士官学校で学び戦後には駐日大使となったし、アキノ大統領(発行当時)の一家も対日協力者だった。

日本人が人類史に果たした役割

  • 日本は戦いには敗れたが、数百年にわたって奴隷のように虐げられていたアジアの民を解放した。そういう歴史的な、新しい時代を開いたという意味で日本は勝ったという誇り。日本は人類史で大きな役割を果たし、今日の人種平等の世界は日本が戦ったことによって創り出された。

「国際連合」は「国連軍」

  • 「United Nations」を自然に訳せば「連合国」だが、日本政府はこれを意図的に「国際連合」と誤訳し、現行憲法と並んで戦後の日本国民の世界観を大きくゆがめる要因となった。世界の中で日本ほど国連に対するあこがれが強い国はないが、「国際連合」という名の国際機構はどこにも存在しない。
  • 国連結成時の加盟資格は「日本と戦っていること」だった。昭和20年3月1日までに日本、ドイツなどの枢軸国に対して宣戦布告していることが求められた。国連は生まれからして平和の国際機構ではなかった。国連憲章には現在も敵国条項が残っている。
  • 外務省も朝日新聞も、昭和20年10月までは「聯合国」と訳していたが、日本国民がアメリカをはじめとする連合国に敵意を抱きかねないために呼び替えた。
  • 日本以外のどの国も、「国際連合」を闘争と取り引きの場としてみている。

精神を重んじる国民性

  • 日本人には精神を重んじるあまり、現実をよく見ようとしない国民性がある。
  • 勝ち負けにこだわらずに、生死を忘れて、無心になって戦う武道の精神を、西洋人は理解できない。